互いにクリエイターでありながら、伝えたいことのある・なしで考えが割れるハマナカとどてらい。
ああでもない、こうでもないと意見を交わし、たどり着くは『ワタシマルチアカウント理論』。
きっと誰もが、自分の中にたくさんのアカウントを持っている!
白熱する議論はどこへ向かうのか!
上質な漠然を求めて取り留めのない話を展開する漠然マイスターの二人。
毎週金曜20時公開。
今日も短編小説のような漠然トークをお楽しみください。
要約
00:00 紙折り師は文化を伝えたい
前回の「創作において伝えたいことがあるか、ないか」という話を受け、ハマナカとどてらいがそれぞれの創作観を掘り下げていく。
ハマナカにとって、作品を作ることは、自分の主張を一方的に叫ぶことではなく、文化や価値観のバトンを次の人へ渡すことに近い。
美術や映画、小説、折り紙のような表現は、時代ごとに姿を変えながらも、過去の作品を参照し、新しい何かを乗せて受け継がれていく。
紙折り師は、ただ作品を折るのではなく、文化のリレー走者でもあるのだ。
05:12 わたしをのせて
文化を受け継ぐだけでなく、そこへ「わたし」をどう乗せるのか。
ハマナカは、自分の折り紙における作家性を、立体的でポリゴン的な形状や、アナログな紙でデジタルっぽさを表現する感覚に見出している。
折る、曲げる、湿らせる、くしゃっとする。
さまざまな技法の中でも、ローポリのようなカクカクした形に惹かれるのは、アナログとデジタルの矛盾を楽しむ感覚があるから。
そこに、ハマナカが次の人へ渡したい「わたし」が乗っている。
08:51 物書きは言いたいことが特にない
一方、前回「伝えたいことがない」と語ったどてらいも、1週間考えた結果、自分の中にやりたいことや見せたいことはあると気づく。
ただし、商業誌の物書きとしては、取材先の魅力、読者、雑誌の色が優先されるため、自分の主張を前面に出す場面は少ない。
どてらいは、自分自身を「伝えるマシーン」や「媒介者」のように捉えていた。
しかし、古畑任八郎風の企画や、松戸号、沼袋の記事のように、個人的な感情や視点が強く出た仕事もある。
伝えたいことがないのではなく、出す場所が限られていたのかもしれない。
11:36 ワタシマルチアカウント理論
ここで生まれるのが『ワタシマルチアカウント理論』。
どてらいの中には、商業誌で書く「ビジネスアカウントのどてらい」と、松戸や沼袋のように自分の感情を前に出す「個人アカウントのどてらい」がいる。
仕事用アカウントは、媒体や読者や取材先を優先し、個人アカウントは自分の違和感や思い出や感情を語りたがる。
伝えたいことがないのではなく、ビジネスアカウントが個人アカウントを押さえ込んでいたのだと、どてらいは自分の中の構造に気づく。
16:34 ビジネスとプライベート、ふたつの自分が溶けあう時
個人の熱量とビジネスの仕組みがうまく重なった例として、どてらいは『チャージマン研!』の音楽祭を挙げる。
プロデューサーの個人的な愛と、イベントとして成立させるビジネスアカウントの力が融合したからこそ、大きな会場を埋め、プロのオーケストラを巻き込む熱狂が生まれた。
個人アカウントでやりたいことを、ビジネスアカウントの資産を使って実現する。
そこに、創作や企画の理想的な融合形が見えてくる。
19:52 自己を見誤るから事故が起きる
ただし、ビジネスアカウントと個人アカウントの扱いを誤ると、事故が起きる。
ビジネスアカウントが育っていないのに、個人アカウントだけが大きなことを言ってしまうと、虚勢に見える。
また、大企業の肩書きや公式アカウントの力を、自分自身のビジネスアカウントの力だと勘違いすることもある。
自分のアカウント力を正確に見積もること。
個人の熱量と、実際に動かせる力の差を見誤らないこと。
それが、マルチアカウント運用の第一歩になる。
24:11 ニッチを輝かせるために、メジャーでバフをかけてみる
ハマナカは、大衆向けコンテンツとニッチな作家性のあるコンテンツを、両方作る重要性を語る。
流行やわかりやすさにはバフがかかる。
大衆向けの入り口を作ることで、多くの人に届き、その中から深い表現や作家性に興味を持つ人が現れる。
ニッチなものをそのまま置くだけでは届かないが、メジャーな入口を通すことで光が当たる。
ビジネスアカウントは、個人アカウントの表現を広げるための装置にもなりうる。
26:17 ごめんね、プライベートアカウント
話を聞きながら、どてらいは自分の中の個人アカウントをかなり押し込めてきたことに気づく。
たこ焼き屋のけんちゃん、焼肉屋の高橋さん、物書きのどてらい堂さん。
昔から場所ごとに違う自分を演じ分けるのが好きで、それ自体は嫌いではなかった。
しかし、演じる自分が増えるほど、個人アカウントが開かれる時間は短くなる。
ビジネスアカウントのどてらいが、プライベートアカウントのどてらいに「ごめんね」と謝る。
『ワタシマルチアカウント理論』は、まだまだ掘りがいのある鉱脈のようだ。
漠然なる気付き
「伝えたいことがある/ない」は、単純な二択ではなかった。誰に、どのアカウントで、何を、どの立場から伝えるのかによって、答えはかなり変わる。
ハマナカにとって創作は、自分の主張を叫ぶことよりも、文化や価値観のバトンを次に渡すことに近い。そこへ自分の折り方、視点、矛盾を楽しむ感覚を乗せている。
どてらいの「伝えたいことがない」は、実はビジネスアカウント側の発言だった可能性がある。個人アカウントには、松戸や沼袋のようにかなり言いたいことがある。
『ワタシマルチアカウント理論』は、かなり使える。人はひとつの自分だけで動いているのではなく、仕事用、個人用、企画用、店員用、投稿職人用など、複数のアカウントを内側で切り替えている。
ビジネスアカウントは、個人アカウントを抑圧することもあるが、育てれば個人アカウントの夢を実現するための資産にもなる。問題は、どちらかを消すことではなく、どう接続するかである。
自分のアカウント力を見誤ると事故が起きる。会社の看板、大衆向けのバフ、肩書き、SNSの伸び。どれが自分の力で、どれが外部の力なのかを見分ける必要がある。
大衆向けコンテンツは、ニッチな表現を広げるための入口になる。メジャーでバフをかけて、そこから深いところへ案内する導線を作るのは、かなり現実的な戦略である。
どてらいは昔から場所ごとに別アカウントを運用していた。学校の高橋健太、焼肉屋のけんちゃん、パチンコ屋の高橋さん、物書きのどてらい。マルチアカウント運用歴が長い。
第7回は、創作論の話をしていたはずが、自分の中にいる複数の自分をどう扱うかという話に変わっていった。漠然学会としては、かなり重要な概念が生まれた回である。
本日の漠然マイスター
ハマナカ
紙折り人。DJやプログラミングもする。折り紙デザインスタジオ Kamiori-Studioを運営している。漠然スタイルは「神降ろし」。0から1を作ることに没頭しているうち、その身に神を宿す術を習得しつつある。マイスターとしては研究家気質で、他人の漠然感の分析に余念がない。
どてらい
物書き。空手やたこ焼き職人もする。主に雑誌『散歩の達人』で執筆、トンチキ企画担当。最近、古畑任八郎という人格が発現した。漠然スタイルは「イタコ」。グッと集中すれば他の人格を憑依させられるし一時的な記憶の塗り替えも可能。自分を単なる容れ物と考えているイカれた男。
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