#10にて「自分自身に神が宿るか否か」で意見が割れたハマナカとどてらい。
高い漠然力から「何かが宿っていそう」と引っ張り出されたさかまさみ。
漠然マイスター3人で、それぞれの「宿りモデル」について議論します!
神が自分に宿るハマナカ。
神はあらゆるものに宿っていると考えるどてらい。
そして、そこにいるものと周波数を合わせ、調和するさかまさみ。
創作、写真、文章、折り紙、演技、好きなものへの向き合い方。
それぞれの宿りモデルを見ていくと、ものづくりだけでなく、世界の楽しみ方まで違ってくる。
三者三様の宿り方。
今日もお聴き流しください。
要約
00:00 マイスター3人寄ればかしましい
#10で語られた「神が自分に宿るのか、神はあらゆるものに宿っているのか」という宗教観の違いを受けて、今回はそれぞれの集中モデル、宿りモデルを深掘りする回。そこへ、前回ゲスト回で高い漠然力を見せつけ、漠然マイスター1級となったさかまさみが登場。ハマナカ、どてらい、さかまさみの3人で、それぞれの創作や世界の捉え方に「何が宿っているのか」を探っていく。
02:49 ハマナカの「神降ろしモデル」
ハマナカは、折り紙を作っている時に「自分が自分ではないように感じる瞬間」があると語る。言葉や論理で考えている自分から離れ、手の感覚、紙の抵抗、身体の動きに従って、原始的に作っているような状態。後から振り返ると、なぜその操作をしたのか思い出せないこともある。ハマナカにとって良い作品が生まれる瞬間は、自分に神が宿り、自分ではない何かが折っているような感覚に近い。
05:02 どてらいの「八百万ニュートラルモデル」
一方どてらいは、自分にだけ神が宿るという感覚はない。神は自分に降りてくるものではなく、あらゆるものに宿っているという「八百万モデル」に近い。文章を書いている時も、書き終わってから「そこにいたんですね」と気づくような感覚で、探そうとすると見つからない。トトロを探している時には会えず、探していない時にふと隣にいる。どてらいにとって神は、自分に宿るものではなく、あとから出会うものなのだ。
06:52 さかまさみの「八百万コネクト・ハーモナイズモデル」
さかまさみも、神はどこにでも宿っているという感覚ではどてらいに近い。ただし、どてらいのように後から気づくのではなく、まず「そこにいる」と感じる。そのうえで、対象とうまく調和できた時に、いい写真が撮れるという。場所やものに宿る何かと周波数を合わせ、一体になれた瞬間を切り取る感覚。ハマナカはそれを「八百万調和型モデル」と捉える。さかまさみは、気づき、繋がり、調和する人なのだ。
09:50 神宿さねば届かぬ場所
写真を撮る時、ハマナカもさかまさみに近い感覚があると語る。ライティングや構図を変えながら「これは宿っている」と感じるポイントを探す。一方、折り紙の場合は制約が強く、カメラのように角度を変えれば済むものではない。正方形の紙一枚という条件の中で、紙そのものと完全に調和しないと宿るポイントへたどり着けない。だからこそ、ハマナカは自分の中に紙を宿す必要があるのではないかと考える。宿らせなければ届かない場所があるのだ。
12:40 切り取るか、産み出すか
どてらいは、さかまさみの写真と自分の文章には「そこにあるものを切り取る」という共通点があるのではないかと気づく。写真は風景や対象を切り取り、文章は取材相手の言葉や魅力を切り取る。一方、ハマナカの折り紙は、素材をこねくり回して形を産み出す作業に近い。切り取る人と、産み出す人。そこに、宿りモデルの違いが生まれているのかもしれない。さかまさみも、ないものから作るより、そこにあるけど気づかれていないものを見つける方が得意だと語る。
15:36 イタコ物書きのアカウント論
話は、創作物をどう見るかというアカウント論へ。どてらいは、書き手アカウントで文章を書き、推敲する時は編集アカウントや読者アカウントで読むという。書く自分と読む自分を分けることで、自分の文章を客観視している。時には「古畑任八郎」のような別人格を降ろすこともあるが、そのアカウントはハマナカからするとかなり接しづらいらしい。どてらいは、自分を容れ物と考え、複数の人格を憑依させながら表現や判断を切り替えている。
22:46 私じゃない誰かになる瞬間
さかまさみは、役者として台本の言葉を発した時の感覚を語る。自分の言葉ではなく、台本に書かれた言葉を相手に届ける時、普段の自分が抱える雑念や責任から離れ、言葉そのものに集中できる。そこには「私じゃない誰か」になる楽しさがある。さらに、役を演じる時は、性格からではなく、姿勢や目線、声の大きさといった身体感覚から入る方がやりやすいという。身体が変わると、出てくる言葉や人格も変わっていくのだ。
28:46 究極奥義・記憶デリート
どてらいは、取材時に「知っていることを知らないふりする」のが苦手で、いっそ強制的に忘れるようにしていると語る。下調べで得た情報を一時的に記憶から白塗りし、取材相手に自然に質問できるようにする。取材が終わると、そのシールを剥がすように記憶が戻ってくるという。本人は普通にやっているつもりだったが、ハマナカとさかまさみから見るとかなり特殊。これは、イタコ系物書きによる究極のアカウント切り替え技なのかもしれない。
33:18 神視点と人視点
作品の楽しみ方にも、それぞれのモデルが表れる。ハマナカは作品を神の視点で見て、世界全体や構造に没入するタイプ。一方、どてらいとさかまさみは、物語の中に入り、登場人物の目線や感情に自分を重ねるタイプ。映画や小説を読んだ後、登場人物の仕草を真似したくなる感覚も共有される。神として世界を眺めるハマナカと、人として世界に入り込むどてらい、さかまさみ。没入の仕方にも宿りモデルがにじむ。
37:33 好きなことに「なぜ」は必要ない
話は、さかまさみが好きな鉄骨、階段、ガスメーターへ。なぜ好きなのかと問われても、うまく説明できない。ただ、ときめく。鉄骨なら何でもいいわけではなく、階段なら何でもいいわけでもない。その場にいたその子だから好き。どてらいも、ガンダムが好きな理由を聞かれると「かっこいいじゃん」以上に説明しづらいと語る。好きなものの理由は、視覚だけでなく、匂い、温度、手触り、記憶、場の空気が複合しているから、言葉にしきれないのだ。
40:40 ガスメーター大好きお姉さんは一期一会の鮮度に萌える
さかまさみにとって、ガスメーターとの出会いは一期一会。同じ場所へもう一度撮りに行くことは基本的にしない。その時、その場所、その瞬間に「この子が好き」と思った感覚が大切であり、写真に収めた時に違和感があれば、それは形にはならない。撮ったガスメーターそのものを好きになってほしいのではなく、他の人にも「自分だけの好きなガスメーター」を見つけてほしい。対象そのものより、楽しみ方を共有したいという姿勢が見えてくる。
44:21 紙折り師は研究がお好き
ハマナカは、さかまさみの一期一会型とは少し違い、ガスメーターを見た人がどう反応するか、同じ対象を別の人が見たらどう感じるか、時間が経つとどう変化するかを知りたくなると語る。つまり、モデル化し、実験し、研究したくなる。さかまさみが「その瞬間に好きだったからいい」と感じるのに対して、ハマナカはデータを集めて仕組みを見たくなる。探索者と研究者、楽しみ方のレイヤーの違いが浮かび上がる。
49:51 それが私の宿りモデル
最後は、それぞれの楽しみ方と宿りモデルの違いへ。さかまさみは、いろんな人と話し、その人が何に興味を持っているのかを聞くのが楽しいと語る。明確なゴールに向かって努力するというより、楽しそうだと思ったらすぐやってみる感覚がある。ハマナカは違いを研究したくなり、どてらいはその間を言葉にしようとする。3人の宿りモデルは、創作だけでなく、好きなものの見方、人との関わり方、世界の楽しみ方にまで広がっていた。
漠然なる気付き
宿りモデルは、創作時の集中方法だけでなく、世界の見方そのものに関わっている。神を自分に宿す人、あらゆるものに神を見る人、そこにいるものと調和する人。それぞれで創作の入口が違う。
ハマナカの「神降ろしモデル」は、折り紙という強い制約のある創作だからこそ生まれる。紙と調和し、自分の中に紙を宿さなければ届かない場所がある。
どてらいの「八百万ニュートラルモデル」は、自分に神が降りるのではなく、書いた後に「そこにいた」と気づくモデル。探すと見つからないが、頑張っているとふと出会える。
さかまさみの「八百万コネクト・ハーモナイズモデル」は、そこにいる何かに気づき、周波数が合った瞬間にシャッターを切るモデル。調和と一期一会の鮮度が肝である。
切り取る創作と産み出す創作では、宿らせ方が違う。写真や文章は「そこにあるものを切り取る」作業に近く、折り紙は「素材と格闘しながら形を産み出す」作業に近い。
どてらいのイタコ物書きモデルは、書き手、編集者、読者、取材者、別人格を切り替えることで成立している。アカウントを切り替えることで、文章を自分から少し離して見ている。
さかまさみの演技モデルは、身体感覚から別人格に近づく。姿勢、声、目線が変わると、出てくる言葉や気持ちも変わる。身体はアカウント切り替えのスイッチになる。
どてらいの記憶デリートはかなり特殊。知らないふりができないから、強制的に忘れる。これは取材者としての自然さを保つための、かなり荒技なアカウント管理である。
ハマナカは神視点で世界全体に没入し、どてらいとさかまさみは人視点で物語の中に入る。作品鑑賞のモデルにも、宿りモデルが反映されている。
好きなものに「なぜ」を求めすぎると、かえって鮮度が落ちることがある。ときめいたから好き。その場、その子、その瞬間だったから好き。理由より先に反応がある。
さかまさみのガスメーター愛は、その個体を再訪する愛ではなく、一期一会の鮮度を愛でるもの。特定の子を布教したいのではなく、各自が自分の「この子」を見つける楽しみ方を広めたい。
ハマナカは研究者型で、さかまさみは一期一会型。どちらも対象を愛しているが、ハマナカはモデル化したくなり、さかまさみは瞬間の出会いを大事にする。楽しみ方のレイヤーが違う。
第11回は、宿りモデルの話から、創作、演技、取材、鑑賞、ガスメーター、研究者気質まで広がった回だった。3人集まると、漠然は一気に立体化する。
本日の漠然マイスター
ハマナカ
紙折り人。DJやプログラミングもする。折り紙デザインスタジオ Kamiori-Studioを運営している。漠然スタイルは「神降ろし」。0から1を作ることに没頭しているうち、その身に神を宿す術を習得しつつある。マイスターとしては研究家気質で、他人の漠然感の分析に余念がない。
どてらい
物書き。空手やたこ焼き職人もする。主に雑誌『散歩の達人』で執筆、トンチキ企画担当。最近、古畑任八郎という人格が発現した。漠然スタイルは「イタコ」。グッと集中すれば他の人格を憑依させられるし一時的な記憶の塗り替えも可能。自分を単なる容れ物と考えているイカれた男。
さかまさみ
写真家。ガスメーターをこよなく愛するガスメーター大好きお姉さん。焼き魚との対話に悩む繊細な性格。
漠然スタイルは「一期一会」。ファーストコンタクトのインパクトが大きければ大きいほどまっしぐらに走る。まさに「思い込んだら一直線」の瞬間最大風速系マイスター。
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