バク然らいぶらり サテライトスタジオ
バク然らいぶらり サテライトスタジオ Podcast
言語化がよくわからない物書きの遠吠え
0:00
-52:11

言語化がよくわからない物書きの遠吠え

言語化の言語化を言語化する 漠然#38

どてらいは物書きなのに、どうにもよくわからない言葉がある。

それは「言語化」。

思考や感情を言葉にすること?

頭の中を整理して、相手に伝わる形にすること?

それとも、言葉にならない漠然を、無理やり言葉の器に流し込むこと?

「言語化できていない」と言えている時点で、それはもう言語化できているのではないか。

そんなパラドックスを抱えたどてらいに、ハマナカ、さかまさみがそれぞれの見方を投げ込んでいく。

話は、言語化レベル1とレベル2、三省堂「今年の新語2024」、SNSと言葉の流通、さらにはロン・ミュエク展の案内文、美術館の鑑賞体験へ。

言葉は便利だ。

だがしかし、言葉があることで失われる体験もあるのではないか。

言語化とは何か。

言葉はどこまで人に届くのか。

今日もお聴き流しください。

要約

00:00:00 言語化って、ちゃんと説明できます?

今回はどてらいが、物書きとして長年引っかかっていた「言語化」という言葉について話し始める。

物書きになって10年ほど。

昔は、文章を書ける人や話をまとめられる人のことを「言語化がうまい」とはあまり言わなかった気がする。

それなのに、ここ数年で急に「言語化できる」「言語化できない」という言葉をよく耳にするようになった。

本を読んでも出てくるのは、傾聴だの、頭の整理だの、方法論ばかり。

「言語化とは何か」が、どこにも明確に書かれていない。

言語化の本が、言語化を言語化していない。

特に引っかかるのは、「ごめん、言語化できていない」という言い方。

頭の中がまとまっていない。

うまく言葉にできない。

そういう状態を伝えたいのはわかる。

だがしかし、「自分はいま言語化できていない状態です」と相手に伝えられているなら、それはもう言語化できているのではないか。

言語化できていないのに、言語化できている。

嘘つきのパラドックスのように、言葉の中でぐるぐるし始めるどてらい。

「言語化できない」は、問題の輪郭までぼかしてしまう言葉なのかもしれない。

00:08:04 言語化レベル1とレベル2

ここでハマナカが、「言語化の言語化の言語化」に挑む。

ハマナカの見立てでは、言語化にはレベルがある。

レベル1は、自分の頭の中にあるものを、とりあえず言葉にすること。

「何を考えているかわかりません」も、その状態を言葉にできているので、レベル1の言語化ではある。

一方、現代でよく使われている「言語化」は、もっとビジネススキル寄りのものではないか。

頭の中の情報を構造化し、枝葉を落とし、相手に伝わる形に整理して、行動や理解につなげる。

いわば、言語化レベル2。

この意味で使っている人にとっては、レベル1ができていても、レベル2まで到達していなければ「言語化できていない」となる。

なるほど、世間が言う「言語化」は、もはや単なる言葉化ではなく、構造化スキルなのだ。

どてらいは、ようやく少しだけ霧が晴れる。

00:11:36 戦前からある言葉が、なぜいま流行るのか

どてらいは、さらに「言語化」という言葉の歴史を共有する。

言語化という言葉自体は、戦前から存在していたらしい。

もともとは、概念、思想、感覚、言葉にならない何かを、言語という形に変換するような、やや学術寄りの言葉だった。

哲学、心理学、言語学のような領域で使われていた、かなり硬い言葉。

ところが2020年代に入り、新聞での使用頻度も一気に増え、三省堂「今年の新語2024」では大賞にも選ばれた。

SNS、インターネット、コンサル的な構造化、ビジネススキルとしての発信力。

さまざまなものが重なり、「言語化」は日常語になっていった。

しかし、そのぶん意味も多岐に渡る。

昔ながらの「言葉にならない何かを言葉にする」と、現代的な「相手に伝わるように整理して出す」が、同じ言葉の中で混在。

だからこそ、どてらいは「言語化」がよくわからない。

言葉が流行ると、意味も増殖する。

便利になるが、少しずつ不気味にもなる。

00:18:49 言語化ブームの次に来るもの

ハマナカは、言葉や情報整理が強力なスキルとして扱われる時代が続いた一方で、今後は「言葉ではない体験」への揺り戻しもあるのではないかと語る。

AIが文章を作れるようになった。

要約も、整理も、ある程度は機械がやってくれる。

そうなると、人間の側では、身体感覚や、その場にいる体験、言葉にしきれないものが、逆に価値を持ち始めるのかもしれない。

一方で、Substackのような長文発信の場も出てきている。

短文SNSに疲れた人たちが、また文章を書き、読む場所へ戻ってきている気配もある。

言語化の時代が終わるわけではない。

ただ、「短く、わかりやすく、整理する」だけが正義ではなくなっていくのかもしれない。

言葉の使われ方も、また次の形に変わっていく。

00:23:09 美術館の案内文は、体験を助けるのか、奪うのか

ここで話は、前回のロン・ミュエク展へとつながる。

さかまさみは、美術展の案内文について違和感を抱いていた。

作品を見る前に、解釈や背景を読んでしまうことで、初見の感覚が薄れてしまうのではないか。

案内文があることで理解は深まる。

だがしかし、それによって自分の目で受け取る前に、見方を決められてしまうこともある。

美術初心者にとっては、案内文はありがたい道しるべになる。

一方で、美術に慣れている人にとっては、先に答えを渡されているように感じることもある。

どこまで説明するべきなのか。

どこから先は、鑑賞者に委ねるべきなのか。

美術館の案内文もまた、言語化の問題を抱えている。

言葉にすれば伝わる。

でも、言葉にした瞬間に、削ぎ落ちる体験もある。

00:31:32 美術館の作法と、子どもたちの鑑賞態度

展示会場で見かけた子どもたちは、思いのほか静かに、きちんと作品を見ていた。

大人が思うより、子どもはちゃんと受け取っている。

騒ぐでもなく、ふざけるでもなく、その場の空気を理解しているように見えた。

そこには、親の教育や、美術館という場所の持つ作法があるのかもしれない。

ただ、作法があるということは、同時に排他性も生む。

美術館は静かに見るもの。

作品にはこう向き合うもの。

そうしたルールは、鑑賞体験を守る一方で、初心者を緊張させることもある。

美術の世界には、保守と革新が同時に存在している。

作法を守ること。

作法を壊すこと。

その両方が、美術という場を作っている。

00:40:00 案内文のバランスと、言葉の届かなさ

案内文は、来場者のためにある。

だが、来場者といっても、初心者、詳しい人、偶然来た人、子ども、海外から来た人など、さまざまだ。

すべての人にちょうどよく届く文章を書くのは、かなり難しい。

初心者向けに書けば、詳しい人には説明しすぎに見える。

上級者向けに書けば、初心者には置いてけぼりになる。

多言語対応、初心者向けと上級者向けの分離、ターゲット設定。

方法はいろいろ考えられるが、そこにはコストもかかる。

どこまで親切にするのか。

どこから先は、受け手の体験に委ねるのか。

言葉は、すべての人に同じようには届かない。

だからこそ、言葉を使う側は、どこまで届けるかを選ばなければならない。

00:50:05 言語化は、もつれを引き受ける行為なのかもしれない

言葉は、受け取る人の知識、経験、感性に大きく左右される。

同じ文章を読んでも、初心者と経験者では受け取るものが違う。

美術館の案内文も、作品のキャプションも、Podcastの言葉も、完全に同じ意味では届かない。

では、すべての人に伝わるように書けばいいのか。

そうすると、情報量は増え、コストも増え、場合によっては体験が重くなる。

一方で、切り捨てすぎれば、届かない人が出てくる。

わかりやすさと豊かさ。

効率と倫理。

初心者への親切と、余白の尊重。

言葉で何かを伝えようとすると、いつもこのあたりで足がもつれる。

それでも言葉を使うしかない。

言語化とは、もしかすると、きれいに答えを出すことではなく、そのもつれを引き受けながら、どこまで届けるかを選び続ける行為なのかもしれない。

漠然なる気付き

  • 「言語化」という言葉は、思った以上に意味の幅が広い。言葉にすることと、伝わるように整理することが、同じ言葉の中で混ざっている。

  • 「言語化できていない」と言えている時点で、最低限の言語化はできている。このややこしさが、言語化という言葉の不気味さでもある。

  • 現代の「言語化」は、単なる言葉化ではなく、構造化スキルとして扱われているのかもしれない。

  • 言葉が流行ると、意味も増殖する。便利になる一方で、使う人によって前提がズレやすくなる。

  • AIが言葉を扱える時代だからこそ、身体感覚や現場体験、言葉にならないものの価値が見直される可能性がある。

  • 美術館の案内文は、鑑賞を助ける一方で、初見の体験を奪ってしまうこともある。

  • 案内文は誰に向けて書くのかで大きく変わる。初心者、詳しい人、子ども、海外から来た人。すべてに同じ文章で届かせるのは難しい。

  • 美術館の作法は鑑賞体験を守るが、同時に初心者を緊張させる壁にもなる。

  • 言葉は、すべての人に同じ意味で届かない。だからこそ、どこまで届けるかを選ぶ必要がある。

  • 第38回は、「言語化」という言葉そのものから、美術館の案内文、鑑賞体験、言葉の限界まで広がった、言葉についての漠然回だった。

本日の漠然マイスター

ハマナカ

紙折り人。DJやプログラミングもする。折り紙デザインスタジオ Kamiori-Studioを運営している。漠然スタイルは「神降ろし」。0から1を作ることに没頭しているうち、その身に神を宿す術を習得しつつある。マイスターとしては研究家気質で、他人の漠然感の分析に余念がない。

ハマナカのInstagram

どてらい

物書き。空手やたこ焼き職人もする。主に雑誌『散歩の達人』で執筆、トンチキ企画担当。最近、古畑任八郎という人格が発現した。漠然スタイルは「イタコ」。グッと集中すれば他の人格を憑依させられるし一時的な記憶の塗り替えも可能。自分を単なる容れ物と考えているイカれた男。

どてらいのInstagram

さかまさみ

写真家。ガスメーターをこよなく愛するガスメーター大好きお姉さん。焼き魚との対話に悩む繊細な性格。
漠然スタイルは「一期一会」。ファーストコンタクトのインパクトが大きければ大きいほどまっしぐらに走る。まさに「思い込んだら一直線」の瞬間最大風速系マイスター。

エッセイブログ

note

stand fm

さかまさみのInstagram

インフォメーション

もとむ! 投書(メール)職人!

あなたが普段抱いている、ぼんやり言葉にできない言葉。
こちらの投書箱にどしどし投げ込んで!
漠然マイスターが、番組内で言葉にします!
図鑑に載ったり、Podcastで読まれたり、漠然グッズになったりするかも……?

漠然投書箱

ホームページもみてね

漠然マイスターたちが日々研究している内容がここに!

まさに漠然らいぶらりの本拠地だ!

バク然らいぶらり

このエピソードについてのディスカッション

Userのアバター

もっと続けますか?